大坂堂島米市場 江戸幕府 v.s. 市場経済
背景
この本は、私の大好きな番組「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティの堀元さんが紹介していたものです。ゆる言語学ラジオは、私と同年代くらいの男性2人が、知的好奇心をくすぐるお喋りを延々と続ける番組。お二人とも読書量がすごいため、紹介される本にハズレがありません。
時は江戸時代。農民から納められた年貢の米は、日本有数の米市場へと廻送・蔵入れされ、それを商人が買い取り、流通させるというようなシステムが機能していました。その中でも日本最大の米市場が、この本の主題、大坂の堂島にあった米会所でした。毎年何百万石もの米が各地から送られてきては、毎日何百人もの商人がごった返して取引を重ねる、とにかく活気あふれる米市場だったようです。記事冒頭の歌川広重の浮世絵からも、エネルギーが伝わってきます。(商人の取引の合意がなされるたびに打ち水が行われたようです。写真でも勢いよく水を打つ人の姿が多く描かれています。)
そもそもシステムが発達しすぎていてすごい
サブタイトルに「江戸幕府 vs. 市場経済」とありますが、本の前半(というか半分以上)は、堂島米市場の「市場経済」なるシステムについての詳細な解説。江戸幕府の話にたどり着く前に、とにかくこのシステムが凄すぎて興奮しました!
簡単にまとめると、頻繁な取引でいちいち米俵を動かすとなるとあまりに手間と時間がかかるので、米は蔵に保管されたまま、取引は「米切手」と呼ばれる紙切れで代用して行われていました。商人は米切手を購入してもすぐに米を蔵に回収しに来るわけではないので、大名は、実際に貯蔵している米の量の何倍もの米切手を発行して流通させていました。実際に、商人が米を取りに来てみると米の貯蔵が十分にない、、、なんていうことは珍しくなかったようです。今でいう、航空会社のオーバーブッキング(過剰予約)のようなものですね。
さらにさらに、堂島米市場では、帳合米商い(ちょうあいまいあきない)という、米切手取引とは全く別物の取引も行われていました。これは、取引時点では実際にお金やものの交換が行われないいわゆる「先物取引」で、しかも取引されるのは「代表米」と呼ばれた、なんと”架空の”米。実物の米の受け取りを前提としない、いわゆる今の時代でのインデックスファンド(株価指数?)みたいな形です。実物の米とは別に価格が勝手に変動し、商人はこの代表米を売り買い(それも実際にお金を払わずに、帳簿上で売り買いの”約束”を)することで、儲けたりお金を飛ばしたりしていた。こんな現代顔負けの金融市場システムが、江戸時代にあったなんて、、、!
江戸幕府の悪戦苦闘
こんなにも発達した市場では、単に豊作・凶作のみならず、人々の心理状態によって米の価格は容赦無く変動します。値段が上がりすぎると市民がご飯にありつけず困るし、下がりすぎると各藩の収入がなくなり財政難に陥るため、江戸幕府は悪戦苦闘します。現代の政府が直面しているのと似たような問題に、「経済学」なんていうものの存在さえも知らなかった幕府の役人たちが、なんとかあれこれ手を打って価格をそれなりに安定させていたというのが、本当に面白かった。
あとがきが良い
情報密度の高い本で他にも共有したいことはたくさんあるのですが、長くなるので割愛して、最後にあとがきから心に響いたフレーズを引用して終わりにします。筆者は江戸幕府、そして商人、ひいては農民を悩ませた米価格の変動を、コンサートチケットの転売に例えて、現代への考察の材料としています。
有名アーティストのコンサートチケットが、インターネットオークションなどを通じて転売され、価格が釣り上がる。コンサートに行く気もない人たちのせいで、本当に行きたい人が不当に高い価格を支払わされるのはおかしい、そう非難する人もいれば、資本主義経済の下では当然の行為だとして問題視しない人もいる。事実、チケット転売を仲介する業者の間では、「売り手と買い手が納得しているのに、行政や警察が介入すべきではない」との声も根強いという。(中略)泣くほどに高いチケット(米切手)を買わされる人がいるとしても、それはそれで双方合意の上で成り立った取引であるから問題ない、などという主張は、江戸幕府には断じて容認できないものであったと思われる。市場経済の原理なるものは、目的に適合する限りにおいて容認・保護されるべきものであり、それ自体として尊重されるべきものではない、というのが江戸幕府の立場であった。ここに我々が学ぶべき点があるように思う。複雑なデリバティブ取引も、証券取引も、全てはわれわれの生活が「宜しくなり候ため」にある。(註:筆者は江戸幕府の町触れを引用)この目的から外れるならば、市場原理なるものを金科玉条のようにおしいただく必要はない。どうすれば、われわれの生活がよろしくなるのか。そもそもよろしい生活とは何か。そのために市場経済をどのように利用すべきか。江戸幕府が必ずしもうまくいっていたわけではないし、所詮は幕藩体制の存続こそが全てであり、人々の生活など二の次であったかもしれない。しかし、市場との対話を繰り返す中で答えを見出そうとした江戸幕府の姿勢には、学ぶべき点も多々あるように思うのだ。
資本主義や市場経済によって私たちの生活が豊かになったのは確かですが、それ自体の至上主義となり人々の精神状態や生活が苦しくなってしまうのであれば本末転倒。「自由市場に政府が介入すべきではない!」という資本主義国家によく見られる主張に、シンプルな「でもなぜ?」という問いが投げかけられているような、良い意味で思いに耽ってしまうあとがきでした。