本の背景

サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」は、タイトルの定理が提示される経緯と、その定理の証明に悪戦苦闘する数学者たちの歴史を描いたノンフィクション。早速ですが、フェルマーの最終定理とはどんな定理なのか?それは、びっくりするほどシンプルな内容です。

3以上の自然数 $$ n $$ について、 $$ x^n + y^n = z^n $$ となる自然数の組 $$ (x,y,z) $$ は、存在しない。

この定理は、17世紀中盤にフランスのアマチュア数学者(本業は全然別分野なのに、数学大好きで趣味で勉強していた)ピエール・ド・フェルマーが、勉強で読んでいた書籍の余白にパパッと書き込んだものを、息子が本人のの死後に出版し有名になったものです。数学大好きで日々研究を重ねてはいたものの、新たな発見をしても学術誌に投稿するわけでもなく、ただ個人として「おー最高の発見!」と孤独に楽しむタイプだったフェルマーは、自分だけ分かれば良いので、ちゃんと論理的に順を追った「証明」を書かなかったことで悪名(?)高いのですが、「フェルマーの最終定理」として知られるようになったこの定理もそうでした。上記の書き込みには、次のような追記が加えられていたのです。

この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

自分の覚え書き程度のつもりでこんなことを書き込んでいたフェルマーは、自らの死後350年にもわたって世界中の数学者たちがこの数式に頭を悩まされることになろうとは全く予想だにしていなかったでしょう。フェルマーの定理が満を辞して証明されたのは、1990年代中盤、プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ教授によってでした。この本には、フェルマーの最終定理にまつわる「真に驚くべき」波乱万丈のストーリーが、紀元前5世紀の古代ギリシャから1995年にわたるものすごいスコープで描かれています。


想像を絶する人数の学者やアマチュア数学者が、なんらかの形で携わっている定理

自分が子供の頃に亡くなってしまって、どんな人だったかよく覚えていない親戚とかって、いますよね。この本を読んでいると、なんだかそういう親戚の古いアルバムを見て「ああ、あの人って、こんな人だったんだ〜」ってなってるような感覚がありました。(笑)どういうことかというと、小中高の理科・数学・物理などの授業でいろんな数式とあわせて名前だけ覚えた学者の皆さんが、ことごとくご本人様登場(?)という形でフェルマーの定理に携わっており、「え〜あの人ってこんな人だったんだ!」「この人はここでこんな行動をしてたんだ!」という繋がる喜びがあったからです。

物語が始まるのはピエール・ド・フェルマーの生まれる千年以上も前の、古代ギリシャ。(多くの人の頭に焼き付いているであろう「ピタゴラスの定理」 \(x^2 + y^2 = z^2\) も、フェルマーの最終定理と形が似ていますが、しっかりとフェルマーの定理の礎を築いています。)そこから歴史を追うと出てくる名前は、ユークリッド、ベルヌーイ、フーリエ、ガウス、ニュートン、パスカル、チューリング、アルキメデス、ピタゴラス、、、一見数学とはなんの関係もなさそうなクレオパトラやアレクサンドロス大王まで登場します。また、全然知らなくてびっくりしたのですが、戦後まもない時期から活躍しはじめた日本の数学者、志村五郎さんと谷山豊さんという方の研究が、フェルマーの定理の証明に多大な貢献をしていたようです。二人の東大での運命的な出会いや、なかなか研究成果を評価してもらえない中でのドラマなど、日本人としてエモいお話もたくさん収録されていました。


この本の醍醐味は、紀元前に始まり現代まで連綿と続く、「ひと」のドラマ

この本を読んで、昔学校で習った数論の脳みそを久しぶりに使って楽しかったという喜びもあったはあったのですが、なんといっても本の一番のポイントは、ドラマチックすぎる登場人物たちのストーリー。申し上げましたように始まりが紀元前ということもあって、殺人あり、暴動あり、革命あり、世界大戦あり、不倫あり、自殺あり、決闘あり、極秘情報の漏洩あり、政治バトルあり、ポップカルチャーの発展あり、そしてなんとエイプリルフールあり、、、フェルマーの定理を核として、想像を絶するほど何層にも、時代を超えて地理を超えて、ヒューマンドラマが折り重なっていました。


フェルマーの最終定理の証明を果たしたワイルズ氏の熱い想い

当たり前の話になってしまいますが、やっぱり深く心を打たれたのは、実際にフェルマーの最終定理の証明を果たしたアンドリュー・ワイルズさんがこの定理に忍耐強く注ぎ込んだ時間と努力。子供時代にこの有名な定理と出会って以来、ずっと心をわしづかみにされていたそうです。ワイルズさんはこの定理の研究を始めてからその証明を公開するまで6年間、ほぼ誰にも研究内容を話さず、孤独に研究を続けていました。辛かった部分もあったようですが、「誰にも知られずにフェルマーの最終定理を研究していたときは、本当に幸せだった。この定理に子供の頃からずっと魅了されていたから、四六時中この定理のことを考えているのも全く苦ではなかった。証明に刻々と近づく研究を自分だけが知っているという喜びもあった。」(意訳笑)というようなことも述べられており、なんだかロマンチックな香りも感じられたり。彼の長年の研究の様子や、歴史的瞬間となった証明の公開、そして継続して行われた研究について読み進めると、学術的な活動の過程やそこに注ぎ込まれる努力ってやっぱりすごいな〜と、再確認したりもしました。