吾輩は猫である
読むに至った経緯
最近、称して”日本の文豪読書プロジェクト”というものを始めました。明確なきっかけは覚えていないのですが、ここ数年で歴史と文芸への関心がどんどん熱くなっていたので、歴史と文芸を組み合わせて日本の近代文学を読もうという気持ちになったというのがボンヤリした背景。学校の教科書で習った森鴎外や、地元ゆかりの泉鏡花の作品をいくつか読んだ後、ついに日本人なら誰もが知っている夏目漱石の作品を読み始めました。
本の概要
夏目漱石を知っている人なら必ず知っている「吾輩は猫である」。この作品、漱石の処女小説だということはご存知でしょうか?もとは第一回の読み切り短編作品として掲載されたそうですが、好評で連載となり、最終的に今私たちの読んでいる小説のフォーマットになったみたいです。(Wikipedia情報)当時の激動の時代を風刺した作品で、西洋の価値観を鵜呑みにする日本社会へ警鐘を鳴らす内容という解釈が主流のようです。(違ってたらごめんなさい)
印象に残った部分
「吾輩は猫である」をフルで読んだのはこれが初めてだったのですが、個人的に印象に残ったのは、高いエンターテインメント性を持った滑稽さ。「吾輩」が飼い主である珍野苦沙弥(英語教師)の、ちょっとずるかったり高慢ちきだったり怠け者だったり頑固だったりする、なんとも人間らし〜い側面を、日々の行動や訪れる友人・親戚との会話を観察しながら語っていくのです。例えば、第1章のこの観察。
吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度たびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
教師がどうとかいう以前に、「主人」の側に非常に共感できるのは私だけでしょうか(笑)なんか、自分の情けない・だらしないと感じるところが、「吾輩」のえばった口調で滑稽に描き出されることで、一種のカタルシスというか、自分のそういうだらしない部分だったりを笑い飛ばすことができるというのが、個人的には一番読んでて楽しかったところかもしれません。そういう人間らしさって、当たり前かもしれないけど、時代を経ても変わらないものなんだな〜っていう思いも、なんだか心温まる。(友達にこれ言ったら「人類進歩してないってことじゃん!」と突っ込まれ、「へ〜そういうふうに感じる人もいるのか」と。私は時代を超えたヒュマニティとの繋がりを感じて心が温まります。笑)
あとは、飼い主が何かに自慢気だったりすると「吾輩」が容赦なく指摘をするのですが、さらにメタ視点(読者視点)から見ると「吾輩」も自分の猫らしい行動から抜け出せないままに威張っていて、そんな滑稽さもあったり。私たちもそういう風に、自分を棚に上げて人のこと話しちゃったりすることあるよね。
もちろん、価値観の西洋化に関するコメンタリーも、すごく興味深かったです。西洋の価値観を輸入し、全ての個人が人格を認められるようになったことに関して、
それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなった訳になる。人がおのれを害することができにくくなった点において、確かに自分は強くなったのだが、滅多に人のみの上に手出しがならなくなった点においては、明らかに昔より弱くなったんだろう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰もありがたくないから、人から一毫(いちごう)も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛(はんもう)でも人を侵(おか)してやろうと、弱いところは無理にでも拡(ひろ)げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。できるだけ自分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれかえって苦しがって生存している。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求める。
終わりに
誰もが聞いたことのある「吾輩は猫である」の感想記事、どうでしたでしょうか?私個人的には、声を出して笑ってしまうようなエンターテイメント性の高さと、真剣に考えに耽ってしまうような社会風刺を兼ね備えた作品だったなと感じました。偉大な批評家の方とかがきっとたくさん既に解釈とかされているであろう作品の感想を書くのは恐れ多いですが、客観的な批評というよりは私が個人的に感じたことを書いてみたまでなのでお許し願います(笑)