テッド・チャンの作り出す物語が面白すぎる

2〜3ヶ月前にテッド・チャン著「息吹」を読んで圧倒されて以来、同著の短編集「あなたの人生の物語」は読みたいリストに入っていました。基本的に映画やテレビに非常に疎い人間であるため知らなかったのですが、人並みに映画を見るような人たちの間では、こちらの「あなたの人生の物語」の方が、「息吹」よりも有名らしい。というのも、2016年にアカデミー賞にノミネートされたThe Arrival(邦題「メッセージ」)という大人気SF映画のベースとなっているストーリーが収録されているのが今回の本なのです。

結論から言うと、この短編集、「息吹」にも負けないほどの、最高に面白い本でした!テッド・チャン、天才すぎる。凡人では思い付かないような設定のストーリーは、最初は何が何だかわからない状態で始まることも多いですが、数ページ読み進めるうちに、脳内の今まで使ったことのない筋肉が動き始めるような不思議な感覚に陥ります。そして、あれよあれよという間に、私の心は今自分の住んでいる世界のことをすっかり忘れ、新しい宇宙を自由に探索し始めるのです。


自由な想像力のもたらす喜びと洞察力

この短編集に収録されている物語はどれも、様々な「もしも」を辿り、今私たちが住んでいる世界とはちょっと違った世界を経験させてくれます。「もしも世界が〇〇だったら、、、」という想像をしたことがある人は少なくないと思いますし、SF小説やディストピアものではこのようなテーマが頻繁に取り上げられますよね。

テッド・チャンのすごいところは、このようなテーマを、のびのびとしたクリエイティビティで、しかし鮮明な現実性をもって、そして限りなく巧みに美しく描き出すところです。

例えば、私たち人類が皆当たり前のように毎日使っている認知。もしもこれとは根本的に異なる認知の方式があるとすれば、それはどんなものだろうか?という模索。こんな難しい問いにじっくり向き合って、さらに読者を置いてけぼりにしないような物書きができる人なんて、そういないのではないでしょうか。他には、「いわゆる『スーパーヒューマン(超人?)』みたいなものが生まれた世界ってどんな感じになるだろう?」というような問いを探るストーリーもあれば、「もしも脳からルッキズム(外見・容姿に基づく差別)を取り除くことができる技術が生まれたら、人々はそれを取り入れるのか?どんな新たな問題が生じるだろうか?」というテーマを取り巻くストーリーも。そしてこれらの描き方が、どこまでも期待を裏切ってきて本当に面白い。SFやディストピアものでは基本的に未来が舞台にされることが多いですが、テッド・チャンの短編集では必ずしもそうではなく、中世や紀元前が舞台となるものもあったり。またフォーマットも、小説に典型的なナレーションスタイルもあれば、ドキュメンタリーのようなフォーマットで紡ぎ出されるものなど、全く隙を見せません。

改めて考えてみると、私は大人になってから、「もしこんな世界があったら?」というような疑問に対して、「まあ、そんな世界はあり得ないから」なんてつまらない言い訳をして、あまり深く考えたことがなかったように思います。しかし、こうやって「息吹」や「あなたの人生の物語」を読むにつれて、そのような想像力あふれる問いかけに、いつのまにか心が自然と開いていきました。そもそも、今私たちの住んでいる世界がどんな魔法のような奇跡の連続で出来上がっているかに思いを馳せると、「あり得ない」と感じるような世界の存在するシナリオを思い描くのは少しも不可能ではないように思えてきます。そして、こんな「あり得ない」世界について考える思考実験のようなものって、ものすごく知的好奇心をくすぐる喜びを与えてくれるだけではなくて、自分をより深く理解する枠組みを補強してくれるなあとも感じます。例えば、「SNSが私たちに与える影響って?」なんて疑問は、あまりに自分に近すぎて一歩下がってみるのが難しかったりするけれど、「ルッキズムを取り除く技術が人に与える影響って?」という問いとなれば、完全な傍観者として騒ぎを観察することができちゃうのです。そしてそこで気づいたことが結局はSNSが私たちに与える影響についてのインサイトに繋がったりしてね。

物語を書くことで人の心を動かせるって素敵なことですね〜。